開発独裁 マルコス

フィリピン6.8%成長 16年、送金増え消費好調:日本経済新聞 フィリピン: アシェンダ・ルイシタの虐殺についての緊急アピール Marcos family holds vigil at ‘Libingan’; security forces brace for more protests:Manila Bulletin コファンコ家 フィリピン、麻薬撲滅戦争を一時停止:BBC LAST WALTZ AT THE PALACE: THE UNTOLD STORY OF PEOPLE POWER:ROGUE フィリピンにおける民主主義への移行とその定着に関する総合的研究 -市民社会の政治力学に注目して- 五十嵐誠一著 早稲田大学大学院社会科学研究科地球社会論専攻 国際社会研究 国際関係論. News Ferdinand Marcos’ economic disaster:Rappler.com ・【独裁者マルコス②】マルコスVSニノイアキノ, http://www.rappler.com/newsbreak/in-depth/123664-recovering-marcos-ill-gotten-wealth-30-years, マルコス一族が去ったマラカニアン宮殿には、イメルダの靴1230足のほか洋服6673着、山のような香水や鞄などが残されていました。, イメルダ夫人の度を超した贅沢は、国民に反感を植え付けるに十分でした。フィリピンでは一足の靴さえ買えずに、裸足で歩いている子供たちが大勢いたのです。, 庶民の暮らしとはあまりにかけ離れたその贅沢な暮らしぶりは、フランス革命の際、マリー・アントワネットが一片のパンさえ買うことができずに空腹を抱えている国民に対して「パンがなければケーキを食べればいいのに!」と、無邪気に語ったことを思い出させます。, マルコスは亡命から3年半後の1989年9月、失意のうちに世を去りました。72歳でした。, マルコスには明らかに二つの顔がありました。一時期、マルコスはフィリピンの支配構造を変えることで、貧困にあえぐ人々を本気で救おうとしたことがあったのかもしれません。少なくとも政権初期においては、国の行く末を心配する気持ちがあったように思えます。, アメリカを手玉にとり、米軍基地をおくことやベトナムへの派兵を餌に、巨額の資金を引き出すことにも成功しています。, しかし、国を思う気持ち以上にマルコスを捉えたのは飽くなき権力欲でした。マルコスは一度握った権力を手放そうとはしませんでした。金銭への執着やクローニーを優遇したことは、マルコスの負の遺産です。マルコスの圧政下で多くの犠牲者が出た。犠牲者の写真を前に佇む司祭。 ・【独裁者マルコス】悪名高きフィリピン大統領の軌跡 Ferdinand Marcos:wikipedia 現代フィリピンを知るための61章【第2版】 エリアスタディーズ 明石書店 Top 10 Accomplishments of the Marcos Administration:pinoylist もったいなさと何もしない美徳 アキノ大統領の6年:Huffington Post 「アジアの病人」の目覚め フィリピン:日経ビジネス overty Alleviation In The Philippines: A Purposely Ignored Issue? Corazon C. Aquino (1986-1992) ドゥテルテ大統領、麻薬犯罪の取り締まりを中断 韓国人誘拐殺人が引き金:Huffington Post フィリピン警察が麻薬捜査中断、警官による韓国人殺害受け:Newsweek Japan Imee Marcos:Facebook フィリピン:「麻薬戦争」での警察による殺害 独立調査が必要:ヒューマン・ライツ・ウォッチ 正義を求めるフィリピン国民の大きな期待を背負い、コラソン・アキノ政権がスタートしました。, コラソンは「マルコス政権とすべて正反対の政治を行う」ことを公約として掲げました。そうなると、コラソンの最大の政治課題は農地改革以外にありません。, コラソン政権下で「包括的農地改革計画(CARP)」が進められました。コラソンは語っています。 リー・クアンユーの常識外の発想がシンガポールの繁栄を築いた: DIAMOND on line その要因は、マルコス前政権にあると言われています。 <マルコス前大統領の独裁政権> フィリピンで20年間に渡って権力を握っていたフェルディナンド・マルコス氏。 彼はフィリピンの第10代大統領であり、独裁者でした。 緑の革命を受け入れた国 フィリピン 約30年間彼は大統領職に就いていたことになります開発独裁と言われた過去の事例には、他にフィリピンのマルコス政権やマレーシアのマハティール政権が挙げられますす。 現在でも一部残存している国としてシンガポールが挙げられます。 マルコス元大統領が英雄墓地埋葬へ、抗議デモも フィリピン:CNN 開発独裁の典型例 大韓民国(韓国)の李承晩政権および朴正煕政権、フィリピンのマルコス政権、インドネシアのスハルト政権、イランのパフレヴィー政権などがその典型例とされる。またタイのサリット政権とその後の軍事政権も一種の開発独裁である。 幻想と幻影の政治 マルコス1965 -1986 - 花崎泰雄著 埼玉大学紀要教養学部第40巻(第1 号) Former Philippines dictator Ferdinand Marcos is given a secret hero’s funeral more than 25 years after he died after new President Duerte paves the way for rehabilitation:DailyMail on Facebook リー・クアンユーの常識外の発想がシンガポールの繁栄を築いた: DIAMOND on line, 独裁者、その最後の時 パート2  ハワイのイメルダ・マルコス夫人(千野 境子):日本記者クラブ, フィリピン:「麻薬戦争」での警察による殺害 独立調査が必要:ヒューマン・ライツ・ウォッチ, ドゥテルテ大統領、麻薬犯罪の取り締まりを中断 韓国人誘拐殺人が引き金:Huffington Post, フィリピン警察長官「ごろつき警官と戦争」 韓国人殺害事件で麻薬犯罪対策を中断:産経ニュース, フィリピン警察が麻薬捜査中断、警官による韓国人殺害受け:Newsweek Japan, EDSA30 / フィリピン、ピープル・パワー革命30周年:Windows of History, 【独裁者マルコス】悪名高きフィリピン大統領の軌跡 遺体埋葬問題から考えるマルコスの正体とは, フィリピンセブ島留学のデメリット【21選】フィリピン留学の弱み、欠点を隠さずお伝えします. ニイノ・アキノの死 渡部亮次郎 フィリピン麻薬戦中止へ・汚職が無くならない理由:sasacebu.com What you didn’t know: Pro-Marcos propaganda too hip for its own good:Rappler.com Martial law is not just about Aquino and Marcos:Rappler.com 独裁政権の評価 高慢なマルコス上院議員:マニラ新聞 マルコス時代 批判の一方で再評価も:日本経済新聞社 Former Philippines dictator Ferdinand Marcos buried in Heroes’ cemetery:CNN ドゥテルテ比大統領が「無法状態宣言」爆弾テロ対応で“超強権”発動か:産経ニュース フィリピン政府、マルコス元大統領を埋葬 英雄墓地に :日本経済新聞 マルコスは20年間で50億ドルから100億ドルもの不正蓄財をしたと見られています。ただし、マルコス自身は贅沢な暮らしとは最後まで無縁でした。イメルダ夫人の印象が強いため、マルコスにも庶民離れした王様のようなイメージがつきまといますが、実際は異なります。, マルコスの私生活は極めて質素であったといわれています。食においても贅沢を嫌い、庶民となんら変わらない質素な料理を好みました。故郷の料理であるイロカノ料理を、もっぱら手食で食したとされています。, マルコスは酒も飲まず、タバコも吸いません。衣服にもほとんど金をかけませんでした。大統領になってからも、故郷で暮らしていた頃となにひとつ変わらない質素な暮らしぶりであったと伝えられています。, 一族やクローニーを重用したことはたしかですが、同じことはフィリピンの歴代大統領の多くがやってきたことであり、問題はフィリピンに根付いた悪しき慣習そのものにあります。マルコスの場合は長期政権になったことで、より一段と腐敗が深刻化することになりました。, マルコスははじめて大統領に当選した後の就任演説で述べています。 EDSA30 / フィリピン、ピープル・パワー革命30周年:Windows of History, その後、持ち前の放浪癖を抑え難くアジアに移住。フィリピンとタイを中心に、フリージャーナリストとして現地からの情報を発信している。. 「これは束の間の勝利になる。今のうちに楽しんでおくがいい。必ず奴らにも年貢の納め時が来る」, また一方でドゥテルテ大統領は麻薬の取り締まりを今後、軍に移管する考えも示しています。, http://cyprusdaily.net/2017/01/30/philippines-puts-anti-drug-operation-on-hold-to-tackle-rogue-police/麻薬撲滅戦争を中断に追い込んだことで、フィリピンでは今、反ドゥテルテ勢力が巻き返しに出ています。, トリリャネス上院議員はドゥテルテ大統領が数十億円の隠し資産を持っていると主張し、追求する構えを見せています。このような動きに対してこれまでは、ドゥテルテ大統領の支持率の高さに遠慮した議員たちが黙殺を決め込んできましたが、最近は少々雲行きが怪しくなってきました。, 反ドゥテルテ勢力にも一定の支持が集まってきています。ドゥテルテ大統領にとって今は踏ん張りどころといえそうです。, 反ドゥテルテ勢力が気勢を上げるなか、いま最も注目されているのがデ・リマ上院議員の逮捕劇です。, 麻薬捜査本部の解散について、「麻薬捜査官が麻薬撲滅戦争という口実の下で不法な活動に関わってきたことを認めたも同然」といった趣旨の批判をしていたデ・リマ上院議員は2017年2月24日、違法薬物取引に関与していたとの容疑で逮捕されました。 Philippines puts anti-drug operation on hold to tackle rogue police! 物語 フィリピンの歴史―「盗まれた楽園」と抵抗の500年  鈴木静夫著 中公新書 https://www.nytimes.com/2017/02/23/world/asia/arrest-duterte-leila-de-lima.htmlデ・リマ上院議員はこれから裁判に臨むことになりますが、有罪になると一生刑務所につながれる可能性もあります。, デ・リマ上院議員の逮捕を巡っては、政府と反ドゥテルテ勢力とで見解がまっぷたつに分かれており、両者の間の溝が深まっています。, 政府は犯罪を犯したのだから逮捕は当然としていますが、デ・リマ上院議員が所属する自由党を中心に、「逮捕は政治的な報復にすぎない」として政府の陰謀だとする説も飛び出しています。, このあたりの経過については、「【第三話】ドゥテルテ大統領の失脚を狙う2人の女性政治家 その狙いとは?」で詳しく紹介していますので、ここでは軽く逮捕のあらましについて説明するに留めます。, デ・リマ上院議員はもともと人権派の弁護士として知られており、ドゥテルテがダバオの市長だった頃からすでに10年に渡り、殺人部隊である自警団とドゥテルテとが関係していることを追求してきました。, 2016年の9月にはデ・リマ上院議員が委員長を務める上院司法人権委員会に、ダバオの自警団に属していたとするエドガー・マトバト氏を呼び、証言台に立たせました。そこでマトバト氏は、ドゥテルテ市長が麻薬犯罪者や政敵の殺害を自分たちに命じたと証言したため大騒ぎとなりました。, しかしマトバト氏の発言には矛盾も多かったため、フィリピン人のほとんどはこの証言を信じませんでした。「デ・リマ上院議員らが仕込んだでっち上げではないか?」との憶測も流れたほどです。, それでも、そのあとのドゥテルテ擁護派の動きを見ていると、逆に証言には真実が含まれていたのではないかと疑いたくなる節があることもたしかです。, マトバト氏が証言した直後に、議員多数の可決によりデ・リマ上院議員は人権委員会委員長の座を追われています。これによりドゥテルテの市長時代の犯罪疑惑はうやむやとなり、それと入れ替わるように浮上したのがデ・リマ上院議員の犯罪疑惑です。, デ・リマ上院議員はアキノ政権下で司法長官を務めていました。そのとき、ニュービリビッド刑務所内で行われていた麻薬取引にデ・リマ上院議員がかかわっていたとする告発が、内部より為されたのです。, 問題は、デ・リマ上院議員を告発したのはハーバート・コランコを中心とする受刑者だったことです。そのため、政府と受刑者の間でなんらかの取引があったのではないかとの疑惑が取りざたされています。, つまり、ドゥテルテ側がデ・リマ上院議員を失脚させるために、犯罪をでっち上げたのではないかとの疑いです。, ハーバート・コランコは麻薬取引・強盗・誘拐事件を起こしてニュービリビッド刑務所に収監された犯罪者です。ですが刑務所内に音楽スタジオを作り、そこで自分で作った歌を録音して歌手デビューを果たしています。そのアルバムはフィリピンで売れまくり、プラチナレコード賞までも受賞しています。, デ・リマ上院議員が本当に麻薬取引に関与していたのかどうかは、今のところ不明です。逮捕直前にも「私は逃げも隠れもしない。すべての容疑に向き合い闘う」と涙ながらに語っています。, もっともデ・リマ上院議員には、なにかと悪い噂があることもたしかで、まったくの無実なのに犯罪者に仕立てられたとする彼女の弁明に対する国民の反応は、どちらかといえば冷ややかです。, デ・リマ上院議員の元運転手で愛人だったとされるロニー・ダヤン容疑者も、すでに逮捕されています。, デ・リマ上院議員は今年に入っても反ドゥテルテの気色を強め、マルコスを倒したエドゥサ革命に触れ「もう1人の独裁者と邪悪な政権に、私たちが勇気を持って立ち上がるべき時が再びやってきた」と、民衆蜂起を促すような発言もしていますが、それに呼応するような空気は現在のフィリピンではごく一部に留まっています。, 逮捕された翌日の2月25日がエドゥサ革命31周年に当たるため、デ・リマ上院議員の逮捕に抗議するデモも行われましたが、参加者は千人ほどに過ぎませんでした。一方、同日行われたドゥテルテ大統領を支持する市民集会には、主催者側の発表では20万人ほどが参加しています。, ただし、ひとつ気をつけるべきことは、反ドゥテルテを掲げる政治家に「麻薬犯罪者」のレッテルを貼る手法は、かつて反マルコスを叫んだ政治家に「共産主義者」のレッテルを貼ったマルコスの手口によく似ている、ということです。, 最近のドゥテルテの言動にはマルコス時代を思わせるものがあるだけに、権力の暴走に対しては警戒が必要でしょう。, ドゥテルテ大統領が推し進める超法規的殺人に関しては、海外からの批判も強まっています。欧州議会は今年3月16日にドゥテルテ大統領に対する非難決議を可決し、デ・リマ上院議員の即時釈放を求めています。, フィリピンの下院ではアレハノ議員が3月16日に、ドゥテルテ大統領の弾劾(だんがい)を求める訴状を提出しています。, 逆風にさらされつつあるドゥテルテ大統領ですが、最近になって戒厳令にふれた発言をしたことで、周囲からさまざまな憶測を呼んでいます。, ドゥテルテ大統領が近いうちに、本気で戒厳令に踏み切るのではないかと心配する声も一部ではあがっています。果たしてどうでしょうか?, 2017年1月14日の演説で戒厳令についての考えを明かすドゥテルテ大統領 http://www.aljazeera.com/news/2017/01/duterte-stop-declaring-martial-law-170115034431700.htmlドゥテルテ大統領と戒厳令を巡る噂は、就任以来たびたび繰り返されてきました。, 2016年9月3日、ミンダナオ島のダバオで起きたイスラム過激派アブサヤフによる爆弾テロを受け、ドゥテルテ大統領は「無法状態宣言」をフィリピン全土に発令しました。, 「無法状態宣言」をすることで軍や警察に、より強い権限が与えられます。具体的には従来までの捜査や捜索の範囲を広げることができ、検問や夜間外出禁止令も下せるようになります。, 「無法状態宣言」が事実上の戒厳令ではないかと心配する声もありましたが、ドゥテルテ大統領は「戒厳令ではない」とはっきりと断じています。, しかし、昨年の12月にはルソン地方パンパンガ州での演説において、上下両院の承認を得ずに戒厳令を発布できるよう憲法を改正すべきとの見解を示しました。, マルコス政権での戒厳令に苦しめられたフィリピンでは、コラソン・アキノ政権下で新しい憲法が公布され、戒厳令を発令する条件をより厳しく改めています。, マルコスの時代には戒厳令を発令する際に議会の承認が必要ではなかったため、マルコスの独断で戒厳令を敷くことができました。, 新憲法では大統領が戒厳令を宣言した後、48時間以内に国会に届け出て、承認を得なければならないとされています。また、最高裁は市民から申し立てがあれば、戒厳令が妥当かどうかを判断できるとしています。, ドゥテルテ大統領は他国からの侵略や戦争が勃発した場合には、すぐに戒厳令を発令する必要性があると説明し、憲法を早急に改めることを提案したのです。, これに対しドゥテルテ大統領と対立するロブレド副大統領は、「戒厳令と独裁政治再来の可能性は、フィリピン国民にとって最悪のクリスマス・プレゼントとなった。戒厳令発布の可能性に屈さず、国民の自由を守るため声を上げなければならない」と、改憲に真っ向から反対しました。, ところがドゥテルテ大統領は2017年1月14日夜の演説にて、麻薬を巡る問題が解決しないまま最悪な状態に至ったときは「必要とあらば私は戒厳令を敷くだろう。誰も私を止めることはできない」と力強く語りました。, これまでもドゥテルテ大統領は戒厳令をほのめかす発言をしていますが、その直後に冗談だと否定してきました。憲法改正についてはふれてきましたが、戒厳令を敷く考えがあると明らかにしたことはなかったのです。, 14日の演説ではじめてドゥテルテ大統領は、必要があれば戒厳令も辞さない覚悟があることを表明しました。, 少なくとも麻薬撲滅戦争のためだけに戒厳令を敷くことはないでしょう。それは単なる表向きの大義名分に過ぎません。, もし戒厳令に踏み切るとしたならば、それはドゥテルテ大統領が本気でフィリピンを変革すると決めたときではないでしょうか。, http://thestagnantfilipino.com/2017/03/poverty-alleviation-in-the-philippines-a-purposely-ignored-issue/ベニグノ・アキノの経済政策を受け継ぐことで、ドゥテルテ政権下でのフィリピンの経済成長率は7%を超える勢いにあります。しかし、それでもまだフィリピンの潜在的な経済成長率には及ばないと指摘されています。, たとえば、フィリピン外国人商工会議所連合は昨年、フィリピンの経済成長率は2018年から10%台を達成できるとの見通しを示しています。ただし、それにはある条件が付いています。「ドゥテルテ政権で外資規制の緩和を行い、インフラ整備などの経済改革を行うことができたならば」という条件です。, 外資規制の緩和は、フィリピンに海外からの投資を呼び込むために絶対に必要と、以前から何度も指摘されてきました。, フィリピンの外資規制の状況は、東南アジアで最悪といわれています。さらに治安も東南アジア最悪であったため、フィリピンは海外投資を呼び込むことに完全に失敗しました。, フィリピン周辺のASEAN諸国が海外投資によって次第に発展していく様を、フィリピンはただ指をくわえて眺めることしかできませんでした。1960年代には東南アジアでもっとも豊かな国であったフィリピンが、いつのまにか東南アジアのお荷物として扱われるまでに転落したのは、海外投資の呼び込みに失敗したことが大きな要因になっています。, 外資を導入することで工業を興すことができれば、大量の雇用が生まれ、貧困問題は解消に向かいます。周辺諸国に比べて給料を低く抑えられ、国民のほとんどが英語を話せるキリスト教圏のフィリピンは、外資を呼び込むための好条件がそろっています。, あとは規制を緩和して、治安を回復することさえできれば、外資は一斉にフィリピンに流れ込むと予測されています。そうなればインフラ整備も一気に進みます。, フィリピンでは未だに貧困の格差という大問題が横たわっていますが、実はそれを解決するためになにをしたらよいのかという道筋は、すでに示されています。, もちろん政治経済には様々な要因が複雑に絡み合うため、けして一筋縄ではないものの、問題の本質を明らかにするためにあえて単純化して示すならば、たったふたつのことを実行するだけで、フィリピンの貧困問題は解決します。, それは第一に農地改革であり、第二に外資規制の緩和です。農地改革で農民が土地を持てるようになれば、農村部の貧困問題は解決します。ただ農地を分配するだけに留まらず、実際に農業に従事できるように環境を整備することも必要です。外資規制については、すでに説明した通りです。, フィリピンの歴代の大統領は、何度も何度も農地改革と外資規制の緩和を行おうとしました。しかし、誰一人、これを成し遂げることができませんでした。, 農地改革は大地主や地方有力者の勢力に阻まれ、外資規制の緩和は既得権益を握る財閥に阻まれ、すべて失敗に終わってきました。, たとえば直近ではベニグノ・アキノが、外資規制の緩和という聖域に挑みました。外資規制を緩和するためには憲法の経済条項を改正しなければなりません。そこでベニグノ・アキノは憲法を改正しようとしましたが、「憲法改正は大統領の任期延長につながるかもしれない。マルコス時代の圧政を許すな!」といった反対意見に押され、立ち消えとなりました。, その背景には、財閥の意を受けた議員らによる既得権益を守ろうとする動きがあったことは間違いありません。, これまでのフィリピンの歴史を見ていると、農地改革と外資規制の緩和は、もはや民主的なプロセスのもとでは不可能なのかもしれません。このふたつの聖域に手をつけようとしたジャーナリストや活動家の多くが、暗殺されたり行方不明になっているというフィリピンの現実は、日本などの民主国家ではあり得ない深い闇を抱えています。, 農地改革にしても規制緩和にしても、それに抵抗する勢力は必ずあります。これらの抵抗を退けて断行するには、ある程度の強権が必要になります。, 思えば日本で農地改革と財閥の解体が進んだのは、戦後GHQによって無理矢理に事が為されたゆえです。, 農地改革や規制緩和、それに連なる汚職の追放などは、戒厳令下であれば一気に進む可能性があります。, http://news.abs-cbn.com/news/11/18/16/duterte-calls-for-forgiveness-after-marcos-burialこれまでの歴代大統領のなかで、その気になれば農地改革を断行できる状況にあったのが、マルコスとコラソンです。マルコスは戒厳令による権力の一元化によって、コラソンは革命後の覚めやらぬ熱気によって、その気になれば改革を行えたと言われています。, しかし、マルコスは私腹を肥やすことに夢中になるあまり、そしてコラソンは大農園を有する実家に関連する利権を手放すことができず、いずれも失敗に終わりました。, ドゥテルテ大統領は、マルコスやコラソンとは対照的です。下院議員時代から不正蓄財の噂が絶えなかったマルコスとは異なり、ドゥテルテには清貧のイメージがつきまとっています。, 権力を手にしても、不正や贅沢は一切遠ざけてきました。検事出身でもあるドゥテルテは、すでに市長時代から正義にこだわり、秩序を重んじてきました。安倍首相を自宅に招いた際も、大統領の住居とは思えない質素な住宅が、日本でも話題となりました。私利私欲を遠ざける姿勢は、ドゥテルテの庶民的な人気に一役買っています。, コラソンのような財閥や名家の出身でないことも、ドゥテルテ人気の理由のひとつです。フィリピンの政界は、財閥や名家の一族、あるいはそれらの息のかかった者ばかりが議員になるという矛盾を抱えています。, マルコスやドゥテルテのように、財閥や名家の一族でない者が大統領に駆け上がるのは、フィリピンでは珍しい例です。第13代大統領のエストラーダも中産階級の出身でしたが、数々のスキャンダルを抱えて政権を追われています。, つまり、ドゥテルテにはマルコスのようなダーティな噂もなければ、コラソンのようなしがらみも持ち合わせていません。純粋にフィリピン国民のために農地改革と規制緩和の大なたを振るうことが、ドゥテルテであればできると期待されています。, フィリピン国民が望んでいることは、持てる少数者のための政治ではなく、持たざる多数者のための政治です。不公平な社会を正す正義が実行されることを、ドゥテルテ大統領に託しているのです。, しかし、いくら国民から絶大な支持を受けているとはいえ、農地改革と規制緩和を実行することは、今のままでは難しいかもしれません。そこで浮上してくるのが戒厳令です。, フィリピン憲法7条18項は「侵略や反乱など国民の安全が脅かされた場合、大統領は戒厳令を布告できる」と定めています。, 現行憲法では戒厳令に至る手続きを厳しくしたばかりでなく、戒厳令下でも憲法や立法議会の機能は維持されるとしています。また戒厳令の期間についても最大60日間と制限されており、延長するためには議会の承認が必要とされています。, ドゥテルテ大統領が戒厳令についての憲法改正に実際に手をつけるのかどうか、いま大いに注目されています。, これについてドゥテルテ大統領は、演説で次のように語っています。 なる。マルコス大統領が自身への批判の急先鋒に立ち、 国民の広い支持を集めていたベニグノ・アキノ上院議 員を暗殺したことは開発独裁の隠しきれない本質を白 日の下に晒した。絶対的な権力は指導者に … エドゥサ革命(EDSA革命) 「主人と奴隷の時代は過ぎ去った。CARLは700万人の農民を貧困ラインから救うことになるだろう」, さらにコラソンはCARLの目的を「大多数の国民の正当な土地所有によって、フィリピン農業の莫大な潜在的富を解放することにある」と宣言し、この政策の実行に自信があることを強調しました。, マルコスにできなかった農地改革をコラソンであれば実現してくれるに違いないと、多くの農民が希望を託したのです。, しかし、フタを開けてみると、農地改革の対象となる土地はわずか176万ヘクタールに過ぎませんでした。土地を持たない農民は100万人以上もいるのに、これではとても足りません。, 農民団体は不満の声を上げ、コラソンには本気で農地改革に取り組む気がないと非難しました。農民たちはコラソンに対して、「まずは『アシエンダ・ルイシタ』を解放せよ」と強く要求を突きつけました。, 「アシエンダ・ルイシタ」は、コラソンの実家であるココファンコ家がタルラック州に所有する6449ヘクタールの大農園です。, 実はCARLは、個人経営の農園と企業化されている農園とを別に扱っていました。「アシエンダ・ルイシタ」はいち早く企業化されていたため、CARLの対象外となっていたのです。, そのため国民は、コラソンが農地改革という国家のために必要な改革よりも、実家の財産を守るという私情を優先させたのではないかと、怒ったのです。, もともと「アシエンダ・ルイシタ」は、スペインの会社からココファンコ家が買い取った大農園です。その資金は政府の保証と融資で支払われましたが、その際ひとつだけ条件が付されました。, 10年後には農園に住む小作農たちに土地を分配するという条件です。しかし、約束は守られませんでした。法廷から何度も約束の実行を命令されたため、ココファンコ家は農園を株式化することでこれを逃れたのです。, ちなみに大農園と聞くと、広大な農園がどこまでも広がっているイメージを抱きがちですが、フィリピンの大農園は桁が違います。, アシエンダ・ルイシタには製糖工場もあれば、学校や病院・ショッピングモール・ゴルフ場まで備え、農園で働く労働者とその家族2万人ほどが暮らすための設備が整っていました。つまり、大農園とは「国家のなかの国家」と呼ぶことがふさわしいような一種の王国と思った方が実状に近いのです。, 大農園のなかではココファンコ家は王族同然であり、コラソンは幼い頃より王家の姫君として大切に育てられました。そんなコラソンに、自らの手で王国を壊すことなどできるはずがありません。, コラソンの農地改革を批判した農民運動が激しさを増していきました。1987年1月22日午後、マラカニアン宮殿入口のメンディオラ橋で1万5000人のデモ隊と国軍が衝突したそのとき、突然軍が発砲しました。, エドゥサ革命の最中でも起きなかった軍による民間人への発砲が、コラソン政権下で発生したのです。メンディオラ橋の虐殺です。死者13人、負傷者多数を出す大惨事となりました。翌1988年2月10日にもルパオの虐殺が起き、17人が命を落としています。, コラソンが軍の指揮権をしっかりと握っていないために起きた大惨事とされていますが、なにかと不穏な噂があることも事実です。, メンディオラ橋の虐殺 https://kahimyang.com/kauswagan/general-blogs/1732/the-mendiola-massacre-of-january-22-1987-under-the-administration-of-president-corazon-aquino Ferdinand Marcos: His last day at the Palace:CNN マルコス元大統領を英雄墓地に埋葬したがるドゥテルテの思惑:ニュースウィーク日本版 WHEN MARCOS TOOK ON THE SUPREME COURT TO KEEP MARTIAL LAW LEGAL:ROGUE Supreme Court: Marcos was not pure evil:Rappler.com LAST WALTZ AT THE PALACE: THE UNTOLD STORY OF PEOPLE POWER:ROGUE, Countdown To The Revolution Part 2: The Election And Its Aftermath:Positively Filipino, First person account: The revolution was live:inquirer.net, Ferdinand Marcos: His last day at the Palace:CNN, The Mendiola Massacre of January 22, 1987 under the administration of President Corazon Aquino. News, Supreme Court: Marcos was not pure evil:Rappler.com, Former Philippines dictator Ferdinand Marcos is given a secret hero’s funeral more than 25 years after he died after new President Duerte paves the way for rehabilitation:DailyMail on Facebook, WHEN MARCOS TOOK ON THE SUPREME COURT TO KEEP MARTIAL LAW LEGAL:ROGUE, What you didn’t know: Pro-Marcos propaganda too hip for its own good:Rappler.com, Martial law is not just about Aquino and Marcos:Rappler.com, Ninoy Aquino: A fallen grain on tarmac bears fruit:inquirer.net, EXCLUSIVE! 独裁者、その最後の時 パート2  ハワイのイメルダ・マルコス夫人(千野 境子):日本記者クラブ ドゥテルテ大統領は2017年1月14日夜の演説にて、麻薬を巡る問題が解決しないまま最悪な状態に至ったときは「必要とあらば私は戒厳令を敷くだろう。誰も私を止めることはできない」と力強く語りました。戒厳令の目的は「フィリピン国民とこの国の若者を守ることだ」としています。 エドサ革命とボンボン・マルコス:Huffington Post EXCLUSIVE! ドゥテルテ大統領、反発根強い戒厳令に意欲:日本経済新聞 Daughter of former Philippine dictator Marcos urges forgiveness:Yahoo! アラブの春 フィリピン警察長官「ごろつき警官と戦争」 韓国人殺害事件で麻薬犯罪対策を中断:産経ニュース Countdown To The Revolution Part 2: The Election And Its Aftermath:Positively Filipino

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