アクトオブキリング デヴィ夫人

『アクト・オブ・キリング』(原題:The Act of Killing)は、2012年制作のイギリス・デンマーク・ノルウェーのドキュメンタリー映画。, 1965年、時のインドネシア大統領・スカルノがスハルトのクーデターにより失脚、その後、右派勢力による「インドネシア共産党員狩り」と称した大虐殺が行われ、100万人以上が殺害されたといわれている、9月30日事件を追った作品。, 当時、虐殺に関わった者たちを取材し、彼らにその時の行動をカメラの前で演じさせて再現するという手法をとった異色のドキュメンタリー映画である。, なお、製作に関わった多くの現地スタッフは、事件がインドネシア国内では未だにタブーであり、名前を明かすことが様々な危険を伴うとの理由から、“ANONYMOUS"(匿名者)としてクレジットされている。, スカルノの第三夫人であったデヴィ・スカルノは本作を高く評価し、監督のジョシュア・オッペンハイマーに「9月30日事件の真実を明らかにし、夫の汚名をそそいでくれた」と感謝の意を表している[3]。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=アクト・オブ・キリング&oldid=78644713. 元インドネシア大統領第3夫人のデヴィ・スカルノ(74、通称:デヴィ夫人)が25日、都内で行われた映画『アクト・オブ・キリング』(監督:ジョシュア・オッペンハイマー/配給:トランスフォーマー)の特別試写会前舞台あいさつにオッペンハイマー監督とともに登壇した。 共同監督:クリスティン・シン、匿名希望 ネタバレ感想『アクトオブキリング』考察や評価レビュー. 映画 『アクト・オブ・キリング』デヴィ夫人 インタビューより。 Dewi Soekarno ke Indonesia, Ternyata Ada yang Tidak Kenal Dia アクト オブ キリング [レンタル落ち] 4月12日(土)、シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開, 60年代のインドネシアで密かに行われた100万人規模の大虐殺。その実行者たちは、驚くべきことに、いまも“国民的英雄”として楽しげに暮らしている。映画作家ジョシュア・オッペンハイマーは人権団体の依頼で虐殺の被害者を取材していたが、当局から被害者への接触を禁止され、対象を加害者に変更。彼らが嬉々として過去の行為を再現して見せたのをきっかけに、「では、あなたたち自身で、カメラの前で演じてみませんか」と持ちかけてみた。まるで映画スター気取りで、身振り手振りで殺人の様子を詳細に演じてみせる男たち。しかし、その再演は、彼らにある変化をもたらしていく…。, 製作総指揮:エロール・モリス、ヴェルナー・ヘルツォーク、アンドレ・シンガー 町山智浩:「デヴィ夫人、平手打ち、戦う」とか。『アクト・オブ・キリング』の舞台となっているインドネシアで、デヴィ夫人が現場にいた、日本政府も加担した凄惨な映画って、どこにも書いてないんですよ。 山里亮太:ワイドショー的な感じにね。 殺戮を繰り返していた人に資金として与えていた」, デヴィ夫人:スカルノ大統領は別に共産主義者ではありませんし、共産国とそんなに親しくしていたわけではありません。あの当時(この映画の背景となっている1965年9月30日にインドネシアで発生した軍事クーデター「9・30事件」)、アメリカとソ連のパワーが世界を牛耳っていた時に、スカルノ大統領は中立国として、アジアやアフリカ、ラテンアメリカの勢力を結集して第三勢力というものをつくろうと頑張っていた為に、ホワイトハウスから大変睨まれましておりました。太平洋にある国々でアメリカの基地を拒絶したのはスカルノ大統領だけです。それらのことがありまして、ペンタゴン(アメリカの国防総省)からスカルノ大統領は憎まれておりました。アメリカを敵に回すということはどういうことかというのは、皆さま私が説明しなくてもお分かりになっていただけるかと思います。, 1965年の10月1日未明にスカルノ大統領の護衛隊の一部が6人の将軍を殺害するという事件が起きてしまいました。(この事件は)その6人の将軍たちが、10月10日の建国の日にクーデターを起こそうとしているとして、その前にその将軍たちをとらえてしまおう、ということだったんですが、実際には、とらえただけではなく殺戮があったんです。建国の日には、大統領官邸の前にインドネシアの全ての武器、全兵隊が集まり、その前で立ってスピーチをする予定だったものですから、そこで暗殺をするというのは一番簡単なことだったわけなんです。エジプトのアンワル大統領(アンワル・アッ=サーダート)も軍隊の行進の最中に暗殺されたということは皆さまもご存知かと思いますが、そういったことが行われようとしていたということなんです。, 7番目に偉かった将軍がスハルト将軍で、10月1日の朝早くに、インドネシアの放送局を占領しまして、「昨夜、共産党によるクーデターがあった」「将軍たちが殺害された」と言って、すぐに共産党のせいにしました。そして赤狩りと称するものを正当化して、国民の怒りを毎日毎日あおって、1965年の暮れから1966年、1967年にかけまして、100万人とも200万人ともいわれるインドネシアの人たち、共産党とされた人、ないしはまったく無関係のスカルノ信仰者であるというだけで罪を着せられて殺されたといった事件が起こりました。この度、この映画で初めてそれが事実であるということが証明されて、私は大変嬉しく思っておりまして、ジョシュア・オッペンハイマー監督には、その偉業を本当に心から心から感謝してやみません。何十年間と汚名をきたまんまでいたスカルノ大統領ですが、この映画で真実が世界的に広まる、ということにおいて、私は本当に嬉しくて、心より感謝をしております。, デヴィ夫人:私はジャカルタにおりました。大統領もジャカルタにおりました。(スハルト将軍は)大変頭の良い方で、それがクーデターだとなったというのは結果的なもののわけで、要するに、その当時のインドネシアの情勢を完全に彼が握ってしまったということなんですね。そして当時の空軍、海軍の指導者たちにも国民から疑いの眼を向けられるようにしたりしました(*スハルトは陸軍大臣兼陸軍参謀総長)。その当時のアメリカ、日本はスハルト将軍を支援しています。佐藤(栄作)首相の時代だったのですが、佐藤首相はご自分のポケットマネーを600万円、その当時の斉藤鎮男大使に渡して、その暴徒たち、殺戮を繰り返していた人に対して資金を与えているんですね。そういう方が後にノーベル平和賞を受けた、ということに、私は大変な憤慨をしております。, デヴィ夫人:そうですね。もうホントに夜は……。あの時は誰が味方で誰が敵か、もう分からない状態で……。戦車の音がゴーッ、と響き渡っていて。私はその音で飛び起きていました。(何か起こった時には)窓を飛び降りて、庭を突っ切って、ヤソオ宮殿の裏にある川の中に身を沈めて、竹をもって日本の忍者みたいにあの冷たい川の中で何分くらいいられるのか、走って何分くらいでそこに辿り着けるか、そんなことを考えて、毎晩ズボンを履いて寝ていました。, デヴィ夫人:そうですね。私のところには護衛官はいましたけど、護衛官は8人ずつの交代制でおりまして、事件当時は30人~40人に増えましたけれども、その人たちがいつ裏切るかも分からないですし、その人たちが味方なのかスパイなのかも分からない状態でした。, デヴィ夫人:私自身が大使館の中に逃げ込むということはしませんでした。日本政府にご迷惑がかかると思いましたので。ただ、その当時私が持っておりました高価なものをお預けしました。そうしましたら、斉藤鎮男大使が私の預けたものを庭に放り出したという噂を聞きまして、その当時の大使のところにいらした料理人夫妻が、わたしが預けたものを全部私のところに届けにきてくれました。その後彼は、日本の外務省にとんでもない報告をしまして、その報告によって日本は、スハルト将軍応援のほうにまわったんです。この斉藤鎮男大使というのは、その当時のアメリカ大使と非常に親しくしておりました。このアメリカの大使は赴任する先々で内乱がおきたり、クーデターがおきたりする方で有名な大使だったんです。, デヴィ夫人:その時はまだ監禁されておりませんでしたが、その後、ヤソオ宮殿のほうに幽閉されて、家族とも会えない状態になりました。私は武装された人間たちに警護されていましたが、その警護はいつ敵になるか分からない、という不安がございました。, デヴィ夫人:はい。PKI(Partai Komunis Indonesia/インドネシア共産党)というんですが、その当時のインドネシアの共産党の幹部たちは、言い訳もできない、そういうチャンスも何も与えられない、「自分たちは無実だ」とは言っていましたけれども、逃げるしか無いということで逃げまわりましたけれども、結局全員捕まって、虐殺されています。その内の一人で、ニョトという幹部がいたんですが、この方が全身を針金で縛られてその針金を引っ張られて亡くなったというニュースを見ていて、まさかそんなことがと思っていたんですが、この映画をみると、そういったことが(確かに)あったんだと……。, デヴィ夫人:1966年を中心にインドネシアで大虐殺があって、(この映画では)メダンの周りの虐殺しか出てこないんですが、もうジャワ中、それからバリ、スワベシ、スマトラ、もう村から村へと、総なめに殺害されていました。その時にあれだけの人間が殺害されていたのに国連が全然動かなかったんです。国連は完全にアメリカの影響下にあったということがこれでよく分かると思うんですけれども、いずれにしましても、スカルノ大統領は第三勢力というものを作り上げようとした、アメリカに基地を与えなかった、そしてアジア・アフリカのリーダーとなっていたということで、アメリカにとってスカルノ大統領は目の上のたんこぶだったんですね。なので、彼はアメリカによって5回くらい暗殺を仕掛けられたんですが、幸いに神のご加護か、助かって来たわけですけれども。とにかくこれは(その虐殺を証明する)大変貴重な映画で、(映画を通して)初めて真実が世界に伝わるのではないかなと思います。, 普通は殺人を犯した人間が、虐殺をしていた人間が、それを再現するという神経、これは非常に異常なことだと思うんですね。監督がそれを虐殺者にそれを演じさせるという、どのように話を持っていったのかは映画をご覧になれば分かりますけれども、最初この映画いったい何なのかしら?と分からなかったんですけれども、段々引きこまれてその恐ろしさに身震いをしました。, 「スタッフを匿名にしているのは、 1965年の10月1日未明にスカルノ大統領の護衛隊の一部が6人の将軍を殺害するという事件が起きてしまいました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 映画評論家の町山智浩さんが、日本であまり知られていない、超スゴい女性たちを紹介する本『アメリカのめっちゃスゴい女性たち』を出版。TBSラジオ『たまむすび』でその中から3人紹介していました。, 町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で2017年のアカデミー賞のを振り返り。前代未聞の作品賞受賞作品間違いなどについて話していました。, スポーツジャーナリストでメンタルトレーナーの義田貴士さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。早稲田実業の1年生、清宮幸太郎くんのメンタル面の強さやその秘訣について話していました。, ピエール瀧さんがTBSラジオ『たまむすび』の中でWBC 侍ジャパンについてトーク。筒香選手がえらい高みに達している件について話していました。, 町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で取材に行ったオレゴン州ポートランドについてトーク。10数年前には何もなかった街が全米一の人気の街になった理由について話していました。, ピエール瀧さんがTBSラジオ『たまむすび』のハガキでお悩み相談コーナーの中で、家庭内のリモコンの呼称問題について話していました。, TBSラジオ『たまむすび』の面白い大人コーナーの特別編。赤江珠緒さんとピエール瀧さんが、玉袋筋太郎さんと博多大吉さんのこれまでを掘り下げていきました。. 2012年/デンマーク・ノルウェー・イギリス/インドネシア語/121分/カラー/5.1ch/ビスタ/DCP 宣伝協力:ムヴィオラ, 公式サイト:http://www.aok-movie.com/ 60年代にインドネシアで行われた100万人規模の大虐殺。その実行者たちにカメラを向け、虐殺の模様を映画化するために彼らに殺人を演じさせたドキュメンタリー『アクト・オブ・キリング』が4月12日(土)よりロードショー。公開にあたり、3月25日にシネマート六本木で行われた特別試写会で、元インドネシア・スカルノ大統領夫人のデヴィ夫人、そしてジョシュア・オッペンハイマー監督が登壇した。 『アクト・オブ・キリング』(原題:The Act of Killing)は、2012年制作のイギリス・デンマーク・ノルウェーのドキュメンタリー映画。 今回は、映画が映しだしている事件を間近に知るデヴィ夫人によるトークの全文、そしてジョシュア・オッペンハイマー監督が制作の経緯を語ったインタビューを掲載する。, 「当時日本の佐藤首相はポケットマネー600万円を、 / エロール・モリス スペシャル・サンクス:ドゥシャン・マカヴェイエフ 製作・監督:ジョシュア・オッペンハイマー / アンドレ・シンガー, 60年代にインドネシアで起きた大量虐殺の実行者に再び殺人を演じさせたドキュメンタリー, webDICE | 映画、音楽、演劇、アートなど充実したカルチャー情報をお届けするウェブマガジン, この大虐殺には日本も関与していた─映画『アクト・オブ・キリング』デヴィ夫人によるトーク全文. 映画 『アクト・オブ・キリング』デヴィ夫人 インタビューより。 Dewi Soekarno ke Indonesia, Ternyata Ada yang Tidak Kenal Dia アクト オブ キリング [レンタル落ち] ジャーナリストたちもこの問題についてオープンに語れるようになったものの、記事の中にパンチャシラ青年団という具体名は登場しません。語られるとすればSNSの中だけというのが現状です。そして様々な政治家たちも特にとがめられることなく政治活動を続けていますので、そういう意味での大きな政治的変化はまだ訪れていません。マスコミでプレマン、ギャングスター、政治との癒着などは勇気を持って取り上げられるようになりましたが、実は個人名はほとんど出てきません。これはおそらくそれぞれの政治家に繋がっているチンピラたちを恐れてのことだと思います」, 「法律的な観点から言えば罪に問われることはありません。国連の方で、ユーゴスラビアでもカンボジアでも行われたような形で追求することはできるはずですが、それについては国際社会、例えばアメリカやイギリスが名乗り出る必要があるため、非常に難しい状況です。ただ個人的に思うのは、これは地域だけの問題ではなく、当時の虐殺やそれを行った政権というものを指示して来た西洋諸国らが責任を負うべきであり、それは日本も例外ではありません。私は日本のエキスパートではありませんが、虐殺当時政権を支援し、その後のスハルト政権を支持して来たわけですから、そういう意味では日本の関与というのもきちんと見つめる必要があるのではないかと思います」, 「彼らがコントロールしたのは、自分たちがどういうシーンを作りたいか、そしてそれをどのように作るのか、という部分です。そういう場面でも、質問があればどんどんしましたが演出という意味では、自分はとくに何もしていません。思った通りに、自分たちの殺人を演じてみてください、とお願いしただけです。作品が彼らのもののように感じられるのは、アンワルたちに当事者意識があったからだと思います。アカデミー賞にノミネートされたときもアンワルは受賞してほしいと言っていました。それは虚栄心からではなく、自分の物語を人々に知ってほしいという想いがあったからです。初めてこの映画を観たあと、彼は僕に『自分であるということがどういうことか、これでみんなに分かってもらえる』と言い、とてもエモーショナルな反応を示していました」, 「仕組みがどんどん大きくなっていった、ということに関しては、これは撮影方法によるものです。一度何かのシーンを撮る、撮り終えたらそれをアンワルに見せる、アンワルはそれを観て、おそらく自分が直視したくないものから逃げるために、『この演技は良くない、服装が良くない』と、新しいことを提案し始め、それをまた映像化する。それをまた彼に見せてフィードバックをもらう。そして撮影する、という流れの中でどんどん大掛かりになっていき、最終的にはあの滝のシーンに行き着いたわけです」, 「アンワルには作品が出来上がったら観てほしいとずっと伝えていましたが、彼は観ることに怖じけづいてしまいました。トロント映画祭の後、彼をジャカルタにあるインターネット環境の良いホテルに連れていってもらい、スカイプを通して彼のための試写を行いました。映画を観た彼はとてもエモーショナルになり、当時の記憶が戻って来たのか、あるいはショックを受けたのか、作品が終了したあとは20分間沈黙していました。その後、バスルームへ行って戻って来た彼は『自分であることがどういうことかが分かる映画だ』と言いました。そしてまたしばらく沈黙してから、『自分のしたことをただ描くのではなく、そのことの意味が描かれていてとてもホッとしている』と言っていました。痛みを伴う経験ではあったけれど、彼の中では少し安堵する何かが感じられたのではないかと思います。その様子を見ていた私は、まるで彼の闇を一緒に見ているようでした。その闇は、おそらくみなさんも見ているものだと思います」, 「『アクト・オブ・キリング』は人間であることの意味という難しい問いを投げ掛けます。過去を持つということはどういうことか?物語を語ることを通じて我々はどんな現実を作ろうとするのか?そして、最も重要なことは、我々は最も苦く、消化しがたい事実から逃がれるために、物語を利用しているのではないか?という問いです」, 1974年、アメリカ、テキサス生まれ。ハーバード大学とロンドン芸術大学に学ぶ。10年以上政治的な暴力と想像力との関係を研究するため、民兵や暗殺部隊、そしてその犠牲者たちを取材してきた。これまでの作品に、シカゴ映画祭ゴールド・ヒューゴ受賞の『THE ENTIRE HISTORY OF THE LOUISIANA PURCHASE』(1998年)など。イギリス芸術・人権研究評議会のジェノサイド・アンド・ジャンル・プロジェクトの上級研究員で、これらのテーマに関する書籍を広く出版している。現在はデンマーク在住。, 映画『アクト・オブ・キリング』 デヴィ夫人は1962年、当時のインドネシア大統領スカルノと結婚し、第三夫人となった。1965年9月30日に、後に「9.30 事件」と呼ばれる軍事クーデターが勃発。夫スカルノは失脚し大統領職を追われ、デヴィ夫人自身も命からがら亡命した。今作は、その「9.30 事件」によって起こった100万とも200万とも言われる虐殺を描いている。 町山智浩が語る 知られざるアメリカの超スゴい女性たち映画評論家の町山智浩さんが、日本であまり知られていない、超スゴい女性たちを紹介する本『アメリカのめっちゃスゴい女性たち』を出版。TBSラジオ『たまむすび』でその中から3人紹介していました。miyearnzzlabo.com2014.04.01. 映画評論家の町山智浩さんが、日本滞在中にデヴィ夫人と行った映画『アクト・オブ・キリング』の記者会見にやって来た日本のマスコミ・報道陣たちの残念な報道についてTBSラジオ『たまむすび』で語っていました。, (赤江珠緒)それでは、映画評論家の町山智浩さん。今週はアメリカ カリフォルニア州バークレーのご自宅からのお電話でのご出演です。もしもし、町山さん。, (町山智浩)やっと帰りました。アメリカに。えっと、先週、日本滞在をのばしていた理由のひとつがですね、『アクト・オブ・キリング』というドキュメンタリー映画の試写会と記者会見がありまして。それの司会をやるってことになったんで、ちょっとのばしたんですね。, (町山智浩)それはデヴィ夫人がいらっしゃって。その『アクト・オブ・キリング』っていう映画について説明してくれるってことで。僕が聞き手をやらしていただいたんですけども。, (町山智浩)そうなんですよ。『アクト・オブ・キリング』っていうのは1965年。だからいまから50年ぐらい前のインドネシアでですね、デヴィ夫人の旦那様だったスカルノ大統領がですね、政権を追われてですね、軍部のスハルト。名前が似ててややこしいんですけど、スハルトっていう将軍が軍事クーデターを起こして政権をとったっていう事件のドキュメンタリーなんですね。, (町山智浩)で、その後、100万人と言われるスカルノ大統領側の人たちが粛清されたんですけども。まあ、それでデヴィ夫人は要するに、その時実際に現場にいてですね、奥さんでしたから。監禁されてるんですね。それでまあ、いつ殺されるかわからなかったっていう話を記者会見でしてくれましてですね。で、その時に日本大使館に、ぜんぜん私を助けてくれなかったと。なぜならば、日本政府とアメリカ政府はスカルノ大統領。だから彼女の旦那さんがアメリカに逆らっていたので、邪魔に思っていたから、クーデター側のスハルト将軍の方を支援してたんですね。アメリカと日本は。, (町山智浩)だから、デヴィ夫人を助けられなかったんですよ。で、しかもその後起こった100万人の虐殺に関しても、日本政府とアメリカ政府は黙認してるんですね。で、それをデヴィ夫人が、だから虐殺があったこと自体信じてくれない人が多くて困るんだけど、この映画で、『アクト・オブ・キリング』は虐殺をした側の人たちが『こうやってやったんだ』っていう風に言ってますからね。, (町山智浩)そう。だから決定的な証拠であるということでこの映画を公開してくれてありがとうございますと。で、この虐殺に関しては日本政府も責任があるし、虐殺をした政府が現在もインドネシアで続いてるんですよという話をなさったんですけども。してくれたんですけども。で、すごく記者が来たんですよ。新聞記者とか、バーッと。もうスポーツ新聞各紙来て。TV局のワイドショーも全部来てですね。要するにデヴィ夫人は、『この映画は日本の人はほとんど知らない。インドネシアで100万人殺されて、日本政府が加担してたっていう現実を知ってほしい』という風に訴えたら、翌日の記事とかニュースとか見たんですよ。『デヴィ夫人、川島なお美と電話』っていう記事になってるんですよ。どれも。, (町山智浩)ええっ!?『デヴィ夫人、平手打ち、闘う』とか。どこにも、『アクト・オブ・キリング』、インドネシアの映画でデヴィ夫人がその現場にいた、日本政府が加担していた虐殺の映画だって、どこにも書いてないんですよ!, (町山智浩)そう。もう、日本のスポーツ新聞各紙、普通の新聞各紙、ワイドショー全部。で、その映画の内容についてちゃんと伝えていたのはWEBメディアだけでした。, (町山智浩)これが日本のマスコミの現実ですよ!関係ない事件じゃないんですよ!いまも続いている軍事独裁政権で、しかも日本政府は虐殺の頃からずっと支援してるんですよ。, (赤江珠緒)しかもやっぱりデヴィ夫人、当事者だから結構赤裸々に語ってくださって。その体験をね。, (町山智浩)そう。当事者としても大変なことで。私は信じてもらえなかったと。虐殺があったと言っても。で、これが証拠です!みなさん見てください!って言ってるのに、その部分、まるごとカットですよ!酷いの、記事になるとインドネシアの『イ』の字も書いていない。これが日本のマスコミの現実だ!おめーら、全員本当にバーッと並んで、デヴィ夫人に片っ端からバババババッ!っとビンタしてもらうべきですね!, (町山智浩)もう、ビビビビビッ!っとビンタしてもらうべきですね。日本のマスコミ。だって、来てるんですよ。現場に。それでデヴィ夫人が言ってるのは、本当に酷い虐殺だったんですよ。針金で人の首を絞めて殺して。女子供も全部殺してるんですよって言ってるのに、なんにも感じないんですよ、日本のマスコミの記者どもは!訴えてるのに。彼女が。, (町山智浩)川島なお美さんがガンで、なんか手術して入院されていたらしいんですけど。『お電話で話したそうですね』って記者会見の時に聞いてるんですね。記者が。で、まあ『電話したら元気でしたよ』って言ってるだけなんですけども。そこのところしか見出しに出てないんですよ。, (町山智浩)日本のマスコミはバカだっ!本当に。お前ら、みんなバカだ!!大学とか出てるかもしんないけど、なんの役にも立ってねーよ!自分が置かれている状況とか、世界で誰が苦しんでいるか?とか、ぜんぜん関係ねーんだ、こいつらは!お前ら、みんな、最低だ!ビンタ、ビビビビビッってデヴィ夫人ビンタを食らうべきですね。本当に。, (山里亮太)町山さん、デヴィ夫人の必殺技みたいに名前ついてましたよ。デヴィ夫人ビンタって。, (町山智浩)タテタテ横横とかね。レバーとかで出そうな感じしますけどね。デヴィ夫人ビンタ!だから本当に日本は、本当に最低ですね!マスコミは!, (町山智浩)本当にね。でも、なんにも感じないんですよ。みんな。あれだけ来ていて。マスコミが。俺、全員の名刺、取っておこうと思いましたよ。本当に。お前ら、みんなクズ野郎!って言ってやろうと思いましたけど。まあ、それはいいんですが・・・, <書き起こしおわり> / ドキュメンタリー copyright © 世界は数字で出来ている all rights reserved. この先はネタバレありの感想考察です。他の映画はおすすめ映画ジャンル別も参考にしてください。. / ヴェルナー・ヘルツォーク 映画評論家の町山智浩さんが、日本滞在中にデヴィ夫人と行った映画『アクト・オブ・キリング』の記者会見にやって来た日本のマスコミ・報道陣たちの残念な報道についてtbsラジオ『たまむすび』で語っていました。 映画『アクト・オブ・キリング』の試写会に登壇したデヴィ夫人. 試写会当日、映画評論家の町山智浩さんの司会により、デヴィ夫人は自らが体験したクーデターの現場の模様や、アメリカや日本が当時の政権を支持することでクーデターや虐殺に関与していたことを生々しく語った。 公式Twitter:https://twitter.com/aok_movie, インドネシア 映画『アクト・オブ・キリング』とは、1965年、インドネシアでデヴィ夫人の夫としても知られるスカルノ大統領が、軍部・スハルト将軍に政権を追われた際に起こった虐殺を、加害者側に証言を求めていくということをテーマにした内容である。 この先はネタバレありの感想考察です。他の映画はおすすめ映画ジャンル別も参考にしてください。. 配給:トランスフォーマー いまだ、彼らの身に危険が及ぶかもしれないからです」, 「この作品を撮る前、そもそもインドネシアに行ったのはヤシ油を採るヤシ農園の労働者たちが組合を作ろうとする様子を記録するためでした。スハルト政権後、ベルギーの会社に雇われた女性たちが、肝臓を痛めるような除草剤を使わされるなど過酷な労働環境にありましたが、組合を作ろうとするとパンチャシラ青年団(極右軍事集団)から脅迫され攻撃される、といったことがあり、そんな彼らの葛藤を記録するのが目的でした。アメリカの関与のレベルというのははっきりとはしていませんが、アメリカは少なくともインドネシア軍に死のリスト、多くはジャーナリストでしたが、新体制に反対する人々の名前を渡していたということは明らかですし、武器や資金を援助していたことも分かっています。その事実が、私がこの映画を作るモチベーションの一つになったことは間違いありません」, 「この作品はもともと、虐殺の生存者たちと一緒に作り始めました。彼らがなぜ今も恐怖を感じているのか、加害者たちが未だに周りにいて、いつ同じことが起こってもおかしくない状況で生活するとはどういうことかを描こうとしていました。しかし撮影を始めた2003年、軍から脅迫を受け、制作をストップしなければならなくなりました。その時、生存した方々から、『加害者を取材してみてほしい』と頼まれました。危険かもしれないと思いましたが、実際に話を聞いてみると、彼らは恐ろしいディテールまでも楽しげに、時には家族の前で、笑顔で語りました。それはまるで、ホロコーストから40年後のドイツに足を運んだら、そこではまだナチスが権力をふるっていた、というような感覚でした。その撮影素材を生存者や人権団体に見せたところ、誰もが『撮影を続けてほしい。これは何かとても大事なものだ』と言いました。そして2年をかけて様々な加害者から話を聞き、今作に出演するギャングのアンワルは41人目に出逢った加害者でした。私は、被害者たちが恐怖を感じることなく自分たちの恐ろしい現実について話せる場となる映画を作りたい、という想いを持ちました」, 「スタッフの数はとても少なかったです。ギャングのアンワルとその仲間たちが、どのシーンを撮影するかといったことを議論しているあたりはなるべく地元の方々と一緒に作り上げてほしいと思いました。ですからパンチャシラ青年団の団員を助監督に雇い、国営テレビの昼ドラに関わっている現地のスタッフに参加してもらい、いくつかのシーンを演出してもらっています。しかし、核となるスタッフは5、6人でしたので、かなり大変なこともありました」, 「匿名にしているのは、いまだ、彼らの身に危険が及ぶかもしれないからです。大学教授、記者、人権団体のリーダーでしたが、自分のキャリアを変えてまで、8年間という時間をこの作品のために費やしてくれました。それも、この国に本当の意味での変化が起こらない限りは自分の名前は明かせない、ということを知ってのことでした」, 「もちろんこの作品の制作に参加することを通じて、アンワル自身にエモーショナルな影響がありました。そしてアンワルの相棒であるヘルマンについてはパンチャシラ青年団を辞め、また、唯一メダン市でこの『アクト・オブ・キリング』を公式に上映してくれました。しかしその他に大きな変化というものはありません。もちろん、アカデミー賞ノミネートをきっかけにインドネシア政府が初めて65年の虐殺は間違いであったと公式に認める、という変化はありました。大統領のスポークスマンが、この映画に出てくるような人々を嫌悪すると述べたのです。しかし、その言葉が元副大統領やパンチャシラ青年団のリーダーを断罪することになるのだと、彼が理解していたかどうかは分かりません。政府は時間をかけて和解を達成するつもりだと言っていますが、それはこれまでの見解とは180度違うものですから、その意味では変化と言えると思います。 ネタバレ感想『アクトオブキリング』考察や評価レビュー. 原題:THE ACT OF KILLING 公式Facebook:https://www.facebook.com/aok.movie ※この日のトーク、続きです↓ ’ネタバレ連打でMCから制止!“美脚”で勝新太郎に抱きつきたい. / Template by どこドア, 2014年04月01日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『たまむすび』(毎週月-金 13:00 - 15:30)にて、映画評論家の町山智浩が、映画『アクト・オブ・キリング』の試写会に参加し、そこでデヴィ夫人が語った過去のインドネシアの惨状について、全く報じることのないマスコミについて怒りを露わにしていた。, 千原ジュニア、ロンブー田村亮の「ジュニアにイラッとした」話を聞かされて逆にイラッとしてしまったと告白「それ言い出したら、俺かて…」, ケンドーコバヤシ、善意100%と思われる手紙を女性から渡されるも「やめてくれ…」と思ってしまった理由を告白「このままではあなたは…」, とろサーモン久保田、朝日新聞デジタル編集者・影山遼の失礼なツイートに激怒「心良く取材受けたらこんな言い方されるの?」, 春日太一、町山智浩へ激怒して「絶縁」宣言を行った経緯・理由についてツイート「町山智浩は私にとって軽蔑と嘲笑の対象」, くりぃむしちゅー上田、爆笑問題・田中の「俺のことはいいが、太田光をつまらないって言う奴に腹立ってしょうがない」発言に感動した過去「田中さんは素敵だな」, ピエール瀧、二十歳の頃は石野卓球と「自動販売機の取り忘れたお釣り」を7時間探し回っていたと明かす「最終的に缶ビール一本、二人で分けた」, 電気グルーヴ石野卓球、二十歳の伊集院光がNHK新人落語コンクールで「落語界を変えます」と宣言していたことにツッコミ「自分が変わっちゃってね(笑)」, ピエール瀧、石野卓球との出会いから電気グルーヴの結成・活動という意外な展開を振り返り「思い通りにはならないよ、人生」, ザキヤマ、相方・柴田復帰後に『シカゴマンゴ』最終回放送をリスナーに約束「絶対、最終回の方やらせていただきますんで、またどこかでお会いしましょう」, ザキヤマ、『シカゴマンゴ』最終回で番組打ち切りを告げられた瞬間について語る「最終回の報告だけは、リアルだなって思いました(笑)」, 映画評論家・町山智浩「アカデミー賞受賞式でジム・キャリーがレオナルド・ディカプリオに向けたメッセージ」, 博多大吉、『さんまのまんま』で準備をせずに臨む理由「世界一面白いオジさんと喋って、面白くならないわけがない」, 博多大吉、木村拓哉と番組でツーショットが多く友人たちからクレームを受ける「何様のつもり?」, 爆笑問題・太田、タモリの『いいとも』打ち上げでの強靭的な体力に驚く「化け物だよね」.

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